クロアチア(フルヴァツカ)Croatia(Republika Hrvatska) 観光 概要

クロアチア(フルヴァツカ)旅行について

●クロアチア(フルヴァツカ)●へのツアーは、ヨーロッパへ出かけたことの少ない私たちにとって ヨーロッパへのデビューとなるものでした。 添乗員のMKさん、同行の皆さん、そして、天候に恵まれとても良い旅となりました。
みなさん、本当にありがとうございました。
 バルカン半島といえば、民族の十字路、サラエボ事件、チトー大統領などのイメージを持っていました。 行ってみて、自然の雄大さ、歴史の深さに驚きました。
 写した写真の数も今までになくたくさんのものとなりました。 この先整理するために多くの時間を要しそうです。

■./Flag_of_Croatia.svg.png■R,200,||クロアチア(フルヴァツカ)国旗▲
●ツアーは●私たちも含め11組、22人+添乗員1人、 そして、もちろん運転手1人も居まして合計24人での移動でした。 大型バスでの移動のため長距離を走行した割りに疲れはそれほどでもありませんでした。
 クロアチアの首都ザグレブへ到着し、その日のうちにスロベニアの首都リュブリャナへ移動し1泊。 スロベニア観光の後、クロアチアへ移動し、クロアチアのホテルで5泊。合計6泊。 そして、機内泊2泊を含め8泊の旅でした。
旅行社は、阪急交通社。海外旅行でお世話になるのは初めてです。 他の同様な旅行に比べ比較的安価に出かけることができました。ありがとうございました。 ただ、カタール航空で、ドーハ乗り換え、ブタペスト経由といった空路で、 関西空港よりクロアチアへ到着するまで22時間も要しました。 これは、さすがにきついものでした。 しかし、クロアチアでの素晴らしい観光にその疲れも癒されました。

全行程地図

全行程 大型観光バスで周遊しました。日程表によると
 A-B:   ザブレブ   -リュブリャナ   137Km
 C-D:   ブレッド   -ボストイナ    101Km
 F(の北)-G(の北):ポレッチ-シベニク     433Km
 G-H:   スプリット  -ドブロヴィクニ  204Km
 H-I:   ドブロヴィクニ-プリトビッツェ  468Km
 I-A:   プリトビッツェ-ザグレブ     135Km
主な区間だけでも、合計走行距離1500KM程の距離を走破しました。

行程

■./140728.jpg■L,200/150,||28日(月)関空よりドーハ▲
■./140729.jpg■L,200/150,||29日(火)ようやくリュブリャーナ着▲
■./140730.jpg■L,200/150,||30日(水)スロベニア▲
■./140731.jpg■L,200,||31日(木)イストラ半島▲
■./140801.jpg■L,200,||01日(金)スプリット▲
■./140802.jpg■L,200,||02日(土)ドブロブニク▲
■./140803.jpg■L,200,||03日(日)プリトヴィッツッへ移動▲
■./140804.jpg■L,200,||04日(月)ザグレブ▲
■./140805.jpg■L,200,||05日(火)ドーハ経由関空▲

気候・治安・両替


食事

ホテル

29日(火)、リュブリャナでのホテル PLAZA HOTEL

■./Ljubljana/140730_132648-960.jpg■L,200,||29日(火)、リュブリャナでのホテル
PLAZA HOTEL▲
 初日に泊まったのは、リュブリャナの街の郊外にあるホテルでした。 リュブリャナの旧市街で食事を取り、近くを観光した後暗くなってからの到着でした。 長い空路の末のホテルで、即爆睡でありました。
翌朝小雨の中ホテル周りを散策しました。 トヨタ、マクドナルド、スパーの看板が目に付きました。
■./Ljubljana/140730_133412-1280.jpg■L,200,||近くにマクドナルド▲
■./Ljubljana/140730_132536-1280.jpg■L,200,||TOYOTAのディーラー▲
■./Ljubljana/140730_132746-1280.jpg■L,200,||モトローラの工場▲
■./Ljubljana/140730_133424-1280.jpg■L,200,||大きなショッピングセンター▲



30日(水)、オパティアでのホテル グランドホテルフォーオパティスカシヴィエッタ

■./Opatija/Grand_Hotel_Opatijska_Cvijeta.jpg■L,200,||30日(水)オパティアでのホテル グランドホテルフォーオパティスカシヴィエッタ▲
 二泊目はアドリア海のリゾート地オパティアのホテルへ宿泊。
夕食後ホテルの周りを散策しました。 多くのリゾート客が足早に次から次と歩く様子は、バリ島のレギャン通りの様子とイメージが重なりました。
■./Opatija/140731_013416-1280.jpg■L,200,||狭い通路を通って
海沿いのレストランへ移動▲
■./Opatija/140731_033602-1280.jpg■L,200,||夕食後レストランの周りを散策▲

31日(木)、シベニクでのホテル イワン

■./Sibenik/140801_131216-1280.jpg■L,200,||夜明けの海岸▲
 三泊目は二日目に続きアドリア海のリゾート地シベニクのホテルへ宿泊。
家族連れの客でにぎわっていました。 広大な土地にいくつかのホテルが立ち並び、海岸には無数の横になれる座椅子が用意されていました。
■./Sibenik/140801_133842-1280.jpg■R,200,||31日(木)、シベニクでのホテル イワン▲
■./Sibenik/140801_133812-1280.jpg■R,200,||ホテル玄関前の葡萄畑▲
■./Sibenik/140801_132208-1280.jpg■R,200,||リゾート気分一杯の演出▲
■./Sibenik/0140801_131122P.jpg■L,650,||夜明けの海岸▲

1日(金)、ドゥブロヴニクでのホテル ヴィラマールラクロマリリゾート

■./Dubrovnik/140802_023742-1280.jpg■L,200,||夕日のアドリア海▲
■./Dubrovnik/140802_023810-1280.jpg■L,200,||宿泊施設▲
■./Dubrovnik/140802_030512-2555.jpg■L,400,||夕日のアドリア海▲
 四泊目もアドリア海のリゾートホテルでした。
大きな宿泊用の建物に付随して、プールとか、野外で食事を楽しむような施設がありました。
ホテルへ到着したときは、夕日がきれいなときでチェックインの合間を見て写真を撮りました。

2日(土)、プリトヴィッツェでのホテル マコーラ

■./Plitvice/140803_131938-1280.jpg■L,200,||▲
■./Plitvice/140803_131958-1280.jpg■L,200,||▲
■./Plitvice/140803_125946-1280.jpg■L,200,||▲
■./Plitvice/140803_131120-1280.jpg■L,200,||▲
 プリトヴィッツェのホテルへは夕方暗くなってから着きました。 ホテルの周りの散策は翌朝にすることにして、夕食を食べさっさと寝ました。
 翌朝、朝霧が深く立ち込めていました。 近くに教会があると添乗員のMKさんより聞いていたので早速出かけました。 豚の丸焼きをしている光景に目が釘付けになりました。 6:00になると、教会の鐘が鳴り響きました。

 鐘の音を聞きながら、クロアチアの旅情に浸ってください。

3日(土)、ザグレブでのホテル シェラトン

■./Zagreb/140804_000750-1280.jpg■L,200,||シェラトンホテル▲
■./Zagreb/140804_141754-1280.jpg■L,200,||シェラトンのフロント▲
●ザグレブ●では、今まで私たちが宿泊したことのない5つ星ホテル。 シェラトンに泊まりました。 新市街、中央駅から北東に1Km弱の辺りにありました。
 ホテルへ着いて、いつものように早速町を散策。 しかし、中央駅辺りまで出かけたところで急に風向きが変わりました。 嵐の前触れのような強風に驚き、引き返しました。 ザグレブでは、良くある天候の急変とか。
 結局、嵐にならないで風も治まりましたが、街の観光は翌朝にしました。
■./Zagreb/140804_132100-1580.jpg■R,200,||中央駅▲
■./Zagreb/140804_132140-1280.jpg■R,200,||クロトラムが忙しそうに動いていました。▲

●翌朝●、例のごとく朝飯前に散策しました。
 重層な建物が建ち並ぶ合間を縫っての散策です。 聞くところによると、オーストリア統治時代の建物とか。 ロシアへ行ったときを思い出す、大きな、そして、ただ大きければ良いのか。 と思うような建物が建ち並んでいました。 壁には所狭しと落書きがあり、壁は剥がれ落ちていました。 この国の現状を表しているのかと寂しさを覚えずにいられませんでした。
■./Zagreb/Staritrgburze.jpg■L,200,||1930年頃のブルザ広場
WIKIより▲
●ホテルから●往復2Km程の行程で、日本大使館、中央駅、ホテル・エスプラナーデなどを初め立派な建物を見て回りました。 ホテル・エスプラナーデは、かつてパリからイスタンブールに走っていた有名なオリエント急行の途中都市として、裕福な乗客の宿泊できる豪華ホテルとして建てられた由緒あるホテルということです。
■./Zagreb/140804_140224-1280.jpg■L,200,||日本大使館▲
■./Zagreb/140804_132340-1280.jpg■L,200,||ホテル・エスプラナーデ▲
■./Zagreb/140804_133340-1280.jpg■L,200,||クロアチア国立古文書館▲
■./Zagreb/140804_134454-1280.jpg■L,200,||国立劇場▲
■./Zagreb/140804_140820-1280.jpg■L,200,||いたるところに落書き。壁が破損▲